【読書レビュー】永崎裕麻著「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」【要約】&【感想】
みなさんは、今、幸せだと感じていますか?
私は、今とても幸せです。
理由は、妻と4歳の娘と一緒に、仲良く楽しく暮らすことができているからです。
ですが、今から2年前は必ずしも幸せとは言えませんでした。
なぜかというと、それまでは朝から夜中までずっと仕事に追われている生活だったからです。
妻に対して何かと文句を言い、言うことを聞かない幼い娘を怒鳴りつけたりしていました。
最悪の夫、最低の父親ですね。
2年前、そんな私に転機が訪れました。
過労のため、うつ病になり起き上がれなくなってしまったのです。
それを聞くと、おそらくみなさんは、
「そんな状況だと、今のほうが大変なのではないか?」
と思われるかもしれません。
確かに、金銭的な面では苦しくなりました。
将来、このままやっていけるのか不安はあります。
ですが、倒れたことでお金には変えられない大切なことに気がつくことができたのです。
それは、妻や娘と一緒に過ごす時間が増えたこと。
私のような父親でも、幼い娘にとっては大きな存在です。
そんなまだまだ小さな娘に、父親として私は何をしてあげられていたのだろう?
そんな時、タイで作られたユーチューブ動画を見る機会がありました。
そこにはこんなメッセージが語られていました。
「父親はどんな時も、完璧な愛を与えることができる。」
私は、涙が止まりませんでした。
怒鳴ってばかりのダメな父親ですが、そんな私でも娘にできることは何かあるはず。
その日を境に、私は娘を以前のように怒鳴ることはほとんどなくなりました。
それと、もう一つは文句や弱音を言わず、病気で寝たきりの私や、手のかかる小さな子供の育児や家事をずっとしてくれた妻への感謝です。
何がその人にとって幸せと感じるのかは、人によって様々だと思います。
なので、あくまで自分にとって、あるいは身近な家族にとって何が幸せなのかが大事になってくると思うのです。
そして、実際に幸せと感じる生活ができているのかが大切になってきます。
私は、いくら金銭的にゆとりができても、生活が仕事だけに偏ってしまい、それ以外のものが犠牲になってしまうことは、自分にとっても家族にとっても幸せではないことに気がつくことができました。
著者は、大学卒業後、金融系のシステム・エンジニアとして働いていたそうです。
その生活は、日々納期に追われ、会社に泊まり込み、人間関係に神経をすり減らすものだったそうです。
私も職種は違いますが、似たような境遇にいたので大変さはよくわかります。
そんな著者が「日本以外に、もっと自分に合う国があるかもしれない」と思いつき、3年で会社を辞めてしまいます。
そして、世界1周の旅に出かけるのです。
約80の国を旅したそうです。
食べ物が美味しい国、自然が美しい国など、魅力的な国はありましたが、日本を離れてまで住みたいと思う国はなかったそうです。
そんな著者が、日本の内閣府が主催する「世界青年の舟」という国際交流事業に参加します。
そこで出会ったのがフィジー人です。
著者は自己紹介として、4年間付き合った彼女と別れたエピソードを話します。
すると、場の雰囲気は一気に凍りついてしまったそうです。
そんな中、「ウヒャヒャヒャヒャヒャ!」と大爆笑をして、場の雰囲気を和ませたのがフィジー人の女性だったのです。
なぜ、凍りついた雰囲気の場で大爆笑したのか、著者はフィジー人の女性に理由を聞きます。
その答えが
「話はまったく面白くないで。ただ、悲しい時こそ笑っとかんとな。」
というものでした。
著者は、フィジー人の女性が、悲しい時こそ笑えばいいという考えを自然に実行できていることに衝撃を受けます。
その後、著者は2007年6月からフィジーに移住をします。
また、フィジーは2011年、2014年の2回、世界幸福度調査で1位になります。
著者は、なぜ日本人は物質的には豊かなのに、自分のことを「幸せだ」といえないのかという疑問をもちます。
それは、幸せだといえない理由として、3つの原因があるからだといいます。
1つめは、暮らしの中で「仕事」の優先順位が高すぎることです。
日本は他国と比べると、平均労働時間は長く、睡眠時間は短いのです。
このことは、私も長くそのような生活をしていたので、経験的によくわかります。
確かに、生活費を稼ぐために仕事をすることは必要でしょう。
ですが、今の日本は、あまりにも仕事だけに偏りすぎていないでしょうか?
年間約3万人もの自殺者が出たり、うつ病で苦しむ人が年々増えています。
それらの原因は、主に仕事によるストレスからきています。
家族や趣味、健康など、もっと私たちは仕事以外にすることがたくさんあるはずなのです。
私も、もっと家族や身近な人たちと楽しく過ごせる人生の方がいいと思うのです。
仕事はもちろん大事ですが、それ以外のこととのバランスがとても大事ではないかと思うのです。
2つめは、人付き合いの中で「世間体」を気にしすぎることです。
日本人は、周りから「変な人」と思われないように、空気を読み、多数派に合わせながら生きています。
その結果、大切な「現在」を楽しめていないというのです。
学校や会社など、何か組織に入ってしまうと、どうしても自分だけのことは考えにくくなることはありますよね。
そして、だんだんと自分の意見を押し殺していくようになります。
しまいには、自分が本当は何をしたいのか、何が欲しいのか、何を言いたいのか、感覚が麻痺してわからなくなってしまうのです。
私も、自分が過労のためうつ病になった原因を考えると、周りのことを気にしすぎるところがあったと思います。
それは、別の角度から見ると、周りに気配りができるというプラスの面もあるでしょう。
ですが、それも度が過ぎてしまうと自分で自分に余計な荷物を抱え込ませ、しんどくなってしまいます。
心身の調子を崩して倒れてしまっては、元も子もありません。
それどころか、周りにも余計な心配や手間を取らせてしまいます。
やはり、何事もバランスが大切なのだと思います。
3つめは、「人間関係」が薄すぎることです。
仕事が忙しいため、プライベートの時間が取れず、職場以外のところで人間関係を作ることが難しいというのです。
最愛の家族とすら、一緒に過ごす時間が限られてしまっているというのです。
これも、まさに私の過去のことをズバリと言われているようです。
振り返れば、私は著者が言う「幸せだといえない理由」を3つとも持っていました。
まさに、私は、「幸せだといえない日本代表」だったのです。
そんな日本とは反対に、著者は、フィジー人の生き方の中から4つの「幸せの習慣」を見つけます。
1つめは、物もお金も何でも「共有」する習慣です。
分かりやすくいうと
「僕の物はみんなの物、あなたの物もみんなの物」
という考えです。
著者も、自分のTシャツをホームステイ先の子供に勝手に着られたり、飲みに行った先で、自分のビールを勝手に飲まれたエピソードを紹介しています。
そこには、フィジー人の「ケレケレ」という文化があるといいます。
「ケレケレ」というのは、「お願い」「ちょうだい」「貸して」というのを混ぜ合わせたような考え方です。
そして、極端な話として、子供さえも子供ができない夫婦と共有することがあるのです。
また、わざとオレオレ詐欺にひっかかったりすることもあるというのです。
2つめは、自分にも他人にも「テキトー」な習慣です。
1つめの習慣でも感じますが、「細かいことには気にしない」ということです。
完璧主義なところのある日本人からすれば、テキトーどころか、ずさん過ぎるとさえ感じるかもしれません。
自分にもゆるく、他人にもゆるくということなのです。
3つめは、どんな時も「現在フォーカス」する習慣です。
フィジー人は、過去を反省しません。
未来の心配もしません。
ただ、「今ここ」を生きているというのです。
仕事で大きなミスをしても反省することはないそうです。
なので、同じミスを何回も繰り返します。
むしろ、そのことをネタとして仲間と爆笑しているのです。
日本人の感覚だと、馬鹿ではないか、学習能力がないのではないか、などと受け取られてしまうかもしれません。
ですが、フィジー人は、「なんとかなる」「誰かが助けてくれる」という確信があるというのです。
4つめは、光の速さで「つながり」をつくる習慣です。
フィジー人は「世界一フレンドリーな国民」と言われています。
ですが、日本人の感覚だと、むしろフレンドリー過ぎて、なれなれしいと感じる人もいるかもしれません。
著者は、スーパーから出てきたところ、赤ん坊を抱いた50代くらいのフィジー人のおばさんと目が合います。
その瞬間
「この子、私の孫やねん。めっちゃかわいいやろー」
と話しかけられます。
著者が
「そうですね。」
と言い終わる前に、おばさんと一緒にいた3人の女性たちに
「目がぱっちりやろ」
「お父ちゃんには、なぜか似てへんねん」
「抱いてみる?」
と同時に話しかけられたエピソードを紹介しています。
初対面でも10年来の知り合いかのように、光の速さで絡んでくるのです。
これら4つのフィジー人の習慣についてですが、今の日本にはないものばかりのように思います。
フィジー人は、日本人とは真逆といえるかもしれません。
人間の習性として、自分にないものは拒否してしまう傾向があります。
フィジー人の4つの習慣についても、受け取る人によってはプラスにもマイナスにも受け取ることができると思うのです。
それだからこそ、積極的にプラスの面をとらえて吸収していけば、日本人が学べることはたくさんあるのではないかと思うのです。
私は、フィジーの人たちが生きている世界は、人間性のレベルが高い大人の世界のように見えます。
自分も他人も縛るものがなく、のびのびと自由に生きています。
物質的にも精神的にも、お互いに境界線がありません。
一方で今の日本は、自分で自分を縛り付けるような細かい規制や法律がどんどん作られています。
これからは、人生100年時代と言われています。
あるいは、それ以上になるかもしれません。
まだまだ先が長い人生をどのように生きていけばいいのか?
そこで、世界でいちばん幸せに生きているフィジー人の生き方は、すごく刺激になり参考になるのと思うのです。