【読書レビュー】池田貴将編訳「覚悟の磨き方 超訳吉田松陰」【要約】&【感想】
みなさんは、吉田松蔭という人物を知っていますか?
幕末に活躍した
◯伊藤博文(初代総理大臣)
◯品川弥二郎(内務大臣)
といった人たちが吉田松蔭に学んでいるのです。
吉田松蔭は、山口県の松下村で塾を始めます。
それが「松下村塾」です。
松下村塾には、教科書もなく、まともな校舎もありませんでした。
教科書は、弟子たちと一緒に最低限のものだけ手作りで作ったそうです。
そこでは、藩の武士階級から選ばれたエリートの子供たちが、一流の講師から一流の教科書を使って学んでいたのです。
松下村塾は色々な点で明倫館とは真逆の存在だったようです。
ですが、歴史に名を残すような偉業を行った人物は、圧倒的に松下村塾から生まれてきたのです。
つまり、いくら建物が立派でも、いくら教科書が立派でも、いくら先生が立派でも、吉田松蔭という人物の教えの前ではほとんど価値がなかったといえるでしょう。
吉田松蔭が松下村塾で教えた期間は、たったの約2年半でした。
その短い間に、塾生たちにどのようなことを教えていたのでしょうか?
吉田松蔭は
「いかに生きるかという志さえ立てさせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」
と信じていたそうです。
なので、一人ひとりを弟子としてではなく、友人として接していたそうです。
入塾を希望する少年には
「教える、というようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」
と話していたそうです。
みなさんは、コーチングというものを知っていますか?
ものすごく簡単に説明すると、目標達成をするための方法論です。
「私の後ろを歩かないでください。私はあなたを指導しているのではないのだから。
私の前を歩かないでください。私はあなたに従いたいのではないのだから。
私の隣を歩いてください。ただ、私の友人になってください。」
と語っています。
「コーチングではゴールが大事」
「ゴール設定さえできれば、目標達成の8割は出来たも同然」
というような言葉を聞いたりもしました。
実際にコーチングを学んだ私も、そのとおりだと思います。
吉田松蔭の教えは、コーチングととても似ているのです。
アメリカでは、全米上位500社の企業のうち62%がコーチングを導入しています。
1990年始めから2010年頃までの、失われた20年という日本経済が停滞していた期間をよそに、アメリカからはどんどん新しいテクノロジーや企業が出てきました。
これは幕末に、松下村塾から続々と偉業を成し遂げていく人材が出てきた状況にとてもよく似ていると思うのです。
つまり、コーチングという現代版吉田松蔭の教えを学んだアメリカからは、次々に有能な才能が生まれ続けているのです。
吉田松蔭は
「いかに素早く一歩目を踏み出せるか」
「いかに多くの問題点に気がつけるか」
「いかに丁寧に改善できるか」
「知識は必要最低限でいい」
「なぜなら、実際に動く前にわかることなんてほとんどないと知っているから」
「行動につながらない学問は無意味だ」
「うまくいくかどうか知らないが、これをやらなければなにも始まらない」
という考えだったそうです。
自分がやりたいと思うからやる。
私は、コーチングを学んでからシンプルに物事を考えて行動ができるようになりました。
心が動いたら、とにかくやってみる。
実際に行動して、実践してみる。
やってみて初めて分かることがある。
そして、しばらくやり続けてみることで、さらに初めて分かることがある。
これは実際に自分でやってみたからこそ体感として理解、納得できることです。
実践、行動を重視するというのはものすごく大事なポイントです。
吉田松蔭は、物事には本質と枝葉があるといいます。
枝葉というのは知識のことです。
本質というのは「どう生きたいのか」という志のことです。
知識だけが増えてもしょうがないのです。
志のために行動をするのです。
そして、志のために行動したからこそ、はじめてその学問を理解できたと言えるのです。
吉田松蔭は、武士の生き方を理想としていたそうです。
武士は、日常から無駄なものを削り、精神を研ぎ澄ましています。
自分の美学のために、惜しみなく自分のみを削っていたのです。
自分にとって本当に大切にしたいことはなにか?
大切にしたいことのために、今自分ができることはなにか?
その問の繰り返しが、人生を豊かにしてくれるのです。
私は、コーチングを学び始めた頃、自分のゴールが見つかりませんでした。
せっかく高い授業料や高い飛行機代、宿泊費も払ってスクールに通って学んでいるのに、自分は全く意味のないことをしているのではないかと悩んだときがありました。
ですが、ゴールはなにも大きなものでなくても構わないのです。
小さなやりたいことを少しずつ重ねていけばいいのです。
私は、ワーカホリック気味の生活が長く続いていたせいで、自分の感覚が少し麻痺していたところがありました。
生活のほとんどすべてを仕事のために使っていた状況だったのです。
その上さらに、結婚、子供が生まれて育児にも追われることが重なりました。
仕事の上に家事、育児が重なり、さすがに私も過労で倒れてしまいました。
診断はうつ病ということで、しばらく仕事も休むことになりました。
そのような状況になって初めて
「自分が本当にやりたいことは何か?」
という自分の小さな声に耳を傾けることができるようになりました。
「そんなちっぽけなこと価値がない」
「そんなのできるわけがない」
「実際にやるのは難しいのではないか」
自分に制限をかけていたのは、他ならぬ自分だったのです。
人生はいつまでも続くものと思い込んでいないでしょうか?
実は、私はそう思い込んでいる中の一人でした。
ですが、過労とうつ病で倒れた私は、自分の心身がいつどうなるか分からないということを身をもって思い知らされました。
そして、倒れてから約2年が経った今でも、まだ病気は完治せずに通院治療を続けています。
過労で倒れてからは、時々、「独特の疲労感」に襲われます。
そのときの「独特の疲労感」というのは、「自分の命を削っている」とさえ感じるものなのです。
本気で生きるということは
「わずかな残り時間で何ができるか」
を必死で考えることではないでしょうか。
吉田松蔭は30歳で、その生涯を閉じます。
やり残していることがあれば、臆せずにやればいいのです。
私はコーチングを学んでから、やりたいことがどんどん出てくるようになりました。
あまりにもやりたいことが多すぎて困ることがあります。
それは、時間がいくらあっても足りないということです。
人は平等に1日24時間しか与えられていません。
今の私は「時間ほど大切なものはない」ということを痛感する日々です。
自分の体調を考えれば、人はいつどうなるか分からないということを常に意識しています。
「すぐに行動しなければ、時間は待ってくれない」
「歳をとってからでは遅すぎる」
「時間は限られている」
「一生をかけても、自分がやりたいことを全部やり遂げることはできないかもしれない」
といったことをより強く感じるようになりました。
コーチングは自分がどう生きるかという生き様を学ぶことです。
吉田松蔭の生き様や言葉から、自分の人生に活かしていけること、学べることはとてもたくさんあります。
本書を読んで、みなさんも自分らしい人生を生きるために、人生をより加速させて、豊かな人生を送られてみてはいかがでしょうか。