イケダハヤト著「新世代努力論」について

みなさんは、努力についてどう考えていますか?

 

私は、努力することは大事だと思っています。

だけど、しんどいですよね。(笑)

なんと、著者は、努力という言葉の意味が、世代によって違うというのです。

「努力すれば報われる」という言葉がありますが、それは本当なのでしょうか?

著者は日本の経済成長のグラフを見ながら、世代によって努力という言葉の意味が違っていることを説明してくれます。

 

1955年、つまり、今から64年前のことです。

その当時、一人あたりのGDPは、約50万円でした。

なお、GDPというのは、コトバンクによると

「国内で新しく生産された商品やサービスの付加価値」

という意味になります。

次に、1975年、今から44年前のことです。

その当時、一人あたりのGDPは、約200万円にまで上がりました。

なんと、20年で4倍に増えました。

まさに、世の中はすさまじい勢いで急成長しているという感じですね。

そして、1995年には、一人あたりのGDPは、約350万円にまで上がりました。

このぐらいの時代までは、「努力すれば報われる」確率は高かったと著者は言います。

 

ところが、2000年頃からは経済成長が低迷し始めます。

1986年生まれの著者にとっては、ちょうど中学生の頃になります。

その頃のニュースは、不況、リストラ、非正規雇用、ブラック起業、うつ病、自殺、貧困といった暗い話題で溢れていたそうです。

つまり、努力しても、その努力がなかなか報われにくい時代になってきたわけです。

 

このように、年代別に日本の経済成長を見比べてみました。

それぞれの時代で「努力」という言葉はどのように使われていたのでしょうか?

それを考えると、世代ごとに「努力」という言葉の意味やニュアンスが違っているというのもよくわかります。

 

さらに著者は、働いている人で、自分のことを「努力不足」と感じることはないといいます。

人間は、生きているだけで、何かしらの努力はしているからです。

努力をしている上に、さらに頑張って努力をしても身体を壊してしまう可能性が高くなるだけです。

 

実は私も、ここ4、5年、急に仕事の負担が増えてきたことと、育児がちょうど一番大変な時期とかぶさったため、うつ病になり起き上がれなくなりました。

起き上がれなくなってから2年近く経った今でも、完全に心身の調子は治ってはいません。

うつ病と診断され、仕事を休み、抗うつ薬を飲みながらリハビリ生活を続けている状況です。

そんな中、同じうつ病で苦しんできた方から、体験談を聞く機会がありました。

話の内容は、何度か病院を変えていくうちに、ようやく自分のことをよく理解してくれて、自分の症状に合った治療をしてくれる病院や先生に出会うことができたというものでした。

その途中、ひどいときには、最初の診察の時に、ある医者からは、「あなたが悪い」と言って怒られたこともあったそうです。

そして、実はその「ある医者」というのは、当時、私が通っていた病院の医者だったのです。

私は、その医者から怒られたことはありませんでしたが、最初の診察の時から

「あなたはうつではありません。」

と言われ続けてきました。

ですが、自分の感覚として

「本当にそうだろうか?なんか違うような気がするけど・・・」

ということはずっと感じていました。

そして、結論からいうと、私は、病院を変え、医者を変えました。

新しい医者の診断は、最初の病院の医者とはポイントが違っていました。

今の医者は、私のこれまでのいきさつを踏まえ、私の症状に合った治療方法と薬を処方してくれています。

ようやく本格的な回復に向かってスタートを切った感じです。

スタートラインにたどり着くまでに、1年半ほどかかりました。

その間には、信頼していた職場の方から、妻ともども真面目に取り組んでいないなどと非難されたり、同じような病気で苦しんでいる職場の方からも疑いの目で見られたりしました。

しかもそれが、なんとか調子がよくなってきたので、ようやく少しずつ職場復帰に向けて動き始めた矢先のことでした。

 

そのようなことを当時の医者に話すと、医者からは

「職場の雰囲気が本当にそこまで冷たいものとは思っていなかった。」

「職場がそんな状況であれば、職場復帰を目指すのを諦めました。」

とはっきりと言われてしまいました。

その他にも、数え上げればきりがないほど職場からは嫌な思いをされ続けました。

私も妻も、何か気になることは、その都度ちゃんと医者に相談してきました。

そして、医者に言われたことを守りながら、自分のできる範囲で回復に向けて生活をしてきました。

ですが、うつ病というのは急に症状がよくなるものではなく、薬を飲みながら、毎日少しずつ、簡単なことをコツコツと積み上げていくしかないのです。

そんなことは、一緒に住んでいる妻以外、自分の親でさえも理解してくれることはありません。

なので、まして赤の他人に少しでも理解してもらうことは無理だということが分かりました。

いくら、その時々、直接会って、相手がわかりやすいように、言葉を考えて選んで伝えても、全くと言っていいほど、こちらの状態は伝わらないのです。

なので、病気で起き上がれなくなり、療養中であるにもかかわらず、周りからの心無い発言や態度に、しんどい思いや嫌な思いをたくさんしてきました。

同じような状況に立たされている人は、おそらく日本中にたくさんいるのではないかと思うのです。

私は、自分がされた嫌な体験を踏まえ、同じような嫌な思いをしている人がこれ以上増えないことを願うばかりです。

 

今、日本の世の中を見てみると、経済的な不況が続いています。

グローバリゼーションといわれる世界との競争にもさらされています。

また、色々な分野でロボットが人間に代わって活躍しています。

こういった状況の中では、いくら努力をしても、その努力が報われる可能性は小さくなっています。

つまり、一人ひとりの努力が足りないのではなく、社会全体として、努力しても、その努力が報われにくくなっているというわけなのです。

なので、もし、努力が足りないと感じて頑張るなら、体調を崩さないように気をつけて頑張らないといけません。

実際に倒れてしまった私が、いい見本です。

 

それと、どんな人でも生きているだけで、精一杯努力しているわけですから、他人を責めないようにすることです。

こういった考えを持つことで、気持ちにもゆとりが生まれ、生活がしやすくなるのではないでしょうか。

 

努力という言葉の意味だけではなく、お金に対する価値観も変わってきているようです。

「年収1000万円を目指しています。」

という考えよりも

うつ病になっても仕方がないし、年収300万円くらいでいいか。」

という考えを持つ人が多くなってきているようなのです。

 

私も、この考えには大賛成です。

うつ病になり、起き上がれなく前と後で、自分も自然とそのように考えが変わりました。

私の場合は、お金に対する考えが変わるというより、お金も含めて、色々な物の価値観が一緒に変わっていったという感じです。

私も昔は

「どうすれば、たくさんお金を手に入れることができるだろうか。」

「次はもっと大きな車を買おう。」

「次のシーズンは別の服が欲しい。」

などと考えていました。

ですが、今では

「収入が減っても、家族と一緒に過ごせる時間を多く取りたい。」

「趣味の時間をもっと多く取りたい。」

「食べた時のおいしさだけにとらわれず、体にいい食べものを食べたい。」

「仕事だけに偏った生活から抜け出して、家族や趣味や健康などバランスの取れた生活をしていきたい。」

「何かおかしいぞ?と感じることは、たとえ仕事でもしたくない。」

「嫌だなと感じる人とは、付き合いたくない」

などと、かなり考えが変わりました。

倒れてからは、収入も半分近くに減りましたが、妻もパートに出て働いてくれており、なんとか生活はできています。

確かに、倒れる前は金銭的には、ややゆとりはあった方だと思います。

ですが、その代わり、いつも仕事で時間に追われ、あくせくしていました。

育児や家事の些細なことで妻と喧嘩もよくしていました。

ひどいことですが、子どもを怒鳴りつけることも何度かありました。

そんなことになる原因の多くは、自分にあったのです。

夜遅くまで仕事に追われ、上司や同僚ともギクシャクした雰囲気の中で心身共に疲れきっていく中で、自分では気がつかないうちに、少しずつエネルギーが奪われていたのです。

 

私は、倒れる前の生活には、絶対に戻りたくありません!

実際に、うつ病になり倒れたという「事実」はとても大きいのです。

「毎晩六本木のクラブで散財しています。」というお金持ちを「ダサい」と言い切る著者には、とても新しい考えだなと思うと同時に、すごく共感するものがあります。

 

著者は、努力することは、ひとつのスキルだといいます。

例えば、英会話を学ぶことで、外国人と会話ができるようになりますよね。

それと同じように、努力というのは、生まれ持った素質ではなく、他人によって、環境によって、運によって、後から身についてくるものだというのです。

著者は、自分は努力できる人間だけど、それは、たまたま恵まれていただけだといいます。

なので、努力できない人というのは、たまたま運が悪かっただけで、努力できないことで自分を責めてはいけないというのです。

なので、例えば、ホームレスの人が、まずやるべきことは、努力というスキルを身につけることだといいます。

 

私は、この話を聞いて、少し衝撃を受けました。

そんな考え方もあるのか・・・・

自分には、そのような考えは全く思いつきもしませんでした。

そして、自分もいかに恵まれた環境にいるのか、改めて、違った角度から見直すことができました。

 

一方で、著者は、大前提として、何事かを成し遂げたければ、努力というのはほぼ必ず求められることも触れています。

そして、本当にするべき努力というのは、「没頭」と言えるようなタイプの努力だというのです。

本人が努力を楽しんでいない場合は、たとえ、それで成功したとしても、自分も他人も精神的に苦しめてしまうことになるからです。

そして、没頭できる何かを見つけたとしても、必ずしも、それを仕事としてやっていけるわけではありません。

むしろ、全くお金にはならず、趣味のレベルで終わってしまう可能性の方が高いわけです。

ですが、没頭することや、試行錯誤すること自体が楽しめるのであれば、それで十分なのではないでしょうか。

 

私は、体調を崩してからコーチングを学びました。

目的は、自分が理想とする、バランスの取れた生活をするためです。

仕事について、たとえ収入が下がっても、心身共に無理がなく、自分に合った仕事を見つけたいと思っていました。

実は、コーチングを学び終えた今でも、新しい仕事を見つけることはできていません。

ですが、自分が本当にしたいこと、やっておかないと後悔すること、他人と比較することをやめることなどを、じっくりと様々なワークを通して学ぶことができました。

そして、今は、自分が好きな読書をもっと深く掘り下げ、読書ブログを書いています。

読書と読んだ本についてのブログを書く事に没頭しているわけです。

幸い、どちらも、自分は没頭できます。(笑)

今、自分にできることを何でもいいから実際に始めてみることで、自分にとっても、他人にとっても少しでも何か役に立てればいいなと思って試行錯誤しています。

そういった実験のようなことを、実際に行動に移して実践できているだけでも十分楽しめています。