【読書レビュー】西畠清順著「プラントハンター」【要約】&【感想】
「プラントハンター」である著者は、明治元年から150年続く、花と植木の卸問屋
「株式会社 花宇」の5代目になります。
日本全国・世界33か国を旅しながら、数千種類の植物を収集、生産しているそうです。
では、具体的に「プラントハンター」とはどのような仕事をしているのでしょうか?
「ピカソが作った壺に似合う植物を探してください」
「1月15日に7分咲きの状態で3.5メートルの桃の枝を20本ください」
「タイの王族に献上する珍しい植物を1か月後までにそろえといて」
といった電話がかかってくるそうです。
日本各地のみならず、世界各国あらゆるところを駆けずり回って、依頼のあった植物を必ず届けるそうです。
そのような著者が「植物」を通して、様々な人間の喜怒哀楽の姿を自身の体験を元に紹介してくれます。
人間の欲望の行きつく先は何なのでしょうか?
著者が、仕事でフィリピンに行ったときのことです。
大統領の一歩手前までなりかけた大富豪「コー・アン・コー」直属の部下と話す機会があったそうです。
その直属の部下から聞いた話というのは
「コー・アン・コー氏は、もうすでにあらゆるものを手に入れているんだよ。
豪邸もあるし、自家用機も、何十台というスーパーカーも、自分専用のガソリンスタンドも持っている。
ほしいものを全部手に入れたとき、最後にほしくなったのが植物だったんだ。」
というものでした。
「自分が美しいと思える植物、誰も持っていない植物に囲まれて暮らしたい」
というのが大富豪の最後の欲望だというのです。
物質的にどれだけ満たされて豊かな生活を送っていても、どうしても埋められないものがあるのです。
そして、それを埋めるものが植物だったのです。
著者は、仕事をしているうちに
「植物には人の心を豊かにする力がある」
ということに気づくようになったそうです。
植物は簡単に海外から日本に持ってこれるものなのでしょうか?
そう簡単にはいかないようで、さまざまな過程があるそうです。
著者は、日本は検疫の厳しい国だといいます。
「検疫」というのは、海外から輸入する「もの」が虫や病気に汚染されていないかを入国の際に検査することです。
たとえば、土が植物に付着していると、その植物は日本に輸入することができないそうです。
土の中には虫や病原菌のほか、その地域に特有の植物の種などが含まれているからです。
もし、そういったものが日本に持ち込まれてしまうと、おもわぬ外来種の繁殖を招いてしまうそうです。
そうなると、固有の植物が脅かされる状況になってしまうというのです。
著者は、スペインから輸入しようとした植物から、微量の土が検出されたことがあったそうです。
防疫官からは「こちらに判をいただけますか?」
と「植物の焼却処分に関する許諾書」を差し出されたそうです。
こうなると、観念するしかないそうです。
著者は、とてつもなく哀しい思いをしたそうです。
ですが、こうした厳しい検疫のおかげで、日本の美しい自然が守られているのも確かなのだといいます。
著者も
「もっと簡単に植物を持ち込めたら苦労しないですむのに」
と思うことがあるそうです。
ですが、ルールを守ってこそのプロだといいます。
そして、世界の自然を守るためにも検疫は厳しくあるべきだというのです。
著者は、華道家の先生と仕事をすることで、植物に対するさまざまな理解や発想が増え、鍛えられ、育てられてきたといいます。
花宇という会社にとっても、華道家という厳しいプロの目に常にさらされてきたからこそ、花材屋として確たる地位を築いてこられたというのです。
著者が、もっとも影響を受けた華道家が、佐野珠寳先生です。
佐野珠寳先生は、どこかの流派に属している華道家ではありません。
「花方」と呼ばれる銀閣寺に伝わる「花伝書」を現代に伝える仕事をしている花務係の女性です。
銀閣寺で正月などの行事ごとに花を飾る係が「花方」と呼ばれていたそうです。
そして、「花方」という職業は2007年頃、500年ぶりに復活した仕事ということでした。
これまで、著者は
「花宇の存在というのは表に出してはいけないものだ」
とずっと思っていたそうです。
4代目の著者の父や周りの職人からもそのように教えられてきたそうです。
しかし、佐野珠寳先生は
「いやいや、こういう仕事は本当に素晴らしいと思いますよ」
と言ってくださったそうです。
珠寳先生は、みずから山に入り花材を調達することもあるそうです。
なので、そうした体験から
「むしろ、そういうことが一番大切」
と花宇の仕事を純粋に認めてくれたそうなのです。
そのことに、著者は驚きました。
驚いた以上に感激したそうです。
もちろん作品の完成度も重要なのですが
「それ以上に、『見えない部分と過程』が大事」
というのが銀閣寺に伝わる生け花の特色なのです。
つまり
「花の美しさより花を活ける場の支度」
「水を汲みに行くときの心の持ちよう」
など、
「花を活ける以前の過程が大事だ」
という考え方なのです。
目に見える部分がどうでもいいというわけではありません。
そこに立てる花が美しければ美しいほど、花瓶の中身や、その花を用意するための過程がより引き立つというのです。
著者も、ただいたずらに美しい植物をとってくるだけではいけないと教えられたそうです。
「なぜその花なのか」
「どこでどうやって採取したのか」
「誰に届けるのか」
そういう過程が大切だというのです。
「見えない部分と過程が大事」というのは、あらゆることにいえるのではないでしょうか。
私も生活の身近なことを振り返ると
「洗車をするとき」
「食事を作るとき」
「掃除をするとき」
「動画を撮影するとき」
といった場面にも通用する考え方だと思いました。
著者は、特殊と思われる植物の世界を通して、私たちの普段の生活に通じることを教えてくれます。
本書を読むことで、世界中の植物の世界を楽しみながら、植物からいろいろなことが学べると思います。
【読書レビュー】亀田潤一郎著「稼ぐ人はなぜ、1円玉を大事にするのか?」【要約】&【感想】
本書は、税理士というお金を扱う職業の著者が、これまで見てきた体験を元にお金について書いているユニークな本です。
もし道ばたに1円玉が落ちていたら、あなたならどうしますか?
著者は「1円玉を拾う」という行為は、案外と奥深い行為だといいます。
「拾うところを誰かに見られたら恥ずかしい」
「1円玉をわざわざ拾うのは面倒だ」
「たかだか1円なんて大した価値がない」
といった気持ちが少しでもあると、1円玉は拾えないというのです。
そして、稼ぐ人は、人目を気にせず、何の躊躇もなく、堂々と、丁寧に「1円玉を拾う」そうです。
著者は、1円という「お金の最小単位」だからこそ、そこにどのような感情を抱くか、どのような態度を示すかによって、お金だけに限らない、周りのあらゆるものに対する価値観や哲学、人生観がありのままに映し出されるというのです。
もし、道に1円玉が落ちていれば、それを拾うには、その1円玉の存在に気が付かなければいけません。
著者は
「この小さな存在に、今のあなたは気が付けるか?」
と試されていることだというのです。
著者は、お金に好かれるためには、小銭を使うときに
「できるだけ小銭が喜ぶような使い方をする」
心がけが重要だといいます。
「余計な小銭はここで使ってしまおう」
「かさばると邪魔だし、重いから」
などという気持ちでお金を使っていないでしょうか?
著者は、小銭が喜ぶお金の支払い方というのは、受け取る側が喜ぶ支払い方だといいます。
「釣銭が出ないように端数をそろえて支払う」
「参加費が決まっているイベントやパーティでは、あらかじめ釣銭がでないように用意しておく」
相手の気持ちや状況をくんだお金のやりとりからは、優しく豊かな感情が生まれるといいます。
このようにして使われたお金は、いずれ大勢のお金を連れて戻ってくるのではというのです。
著者は「財布の中のカードは、1枚に減らしなさい」といいます。
理由のひとつは、できるだけ財布をきれいな状態にキープするためだというのです。
そして、財布の中に入れて移動させるのは「その日使うもの」のみだといいます。
こうすることで、自分の毎日の行動をマネジメントできるというのです。
私もこの話を知って、すぐに財布の中のカード類を整理しました。
以前は、財布のカード入れに入らないカードは、お札入れの中に束にして入れていました。
そして、そのほとんどのカードは、普段、使わないカードばかりなのです。
私の財布には、全部で10か所のカード入れがあります。
ですが、カードを入れるのは、財布を開いたところにある4枚分だけに絞りました。
著者が言う通り
「その日に使うカードを選んで財布に入れる」
ということを実践しました。
時には、ファミマで買い物をするときに
「あっ、Tカード持ってくるの忘れた」
ということが、時々ありました。
ですが、以前のように、いつも膨らんだ状態の財布よりも気分はいいのです。
著者は、お金というのは、ときに気持ちや思いを乗せる「器」になるといいます。
ですが、その気持ちや思いの大きさは、金額では測れないというのです。
著者が、四国八十八か所巡りをしているときに、おばあちゃんから声をかけられたそうです。
そして、そのおばあちゃんは、見ず知らずの著者にぷるぷると震える手で100円玉を1枚差し出してくれたそうです。
著者が受け取ったのは、おばあちゃんが著者に向けた
「最後まで無事にやり通しなさいね」
という気持ちだったというのです。
著者は、このとき初めて、人の思いというのは金額では測れないものだと感じたそうです。
著者は、その100円玉に感じるおばあちゃんの「思い」の重さを感じ、心から「ありがたい」と思ったそうです。
その日以来、お接待でお金をいただいても、金額にはまったくこだわらなくなったそうです。
私はこの話から、1円でも大切なお金として1万円と同じ分け隔てのないマインドで付き合うことの大切さを学びました。
たかが1円玉、されど1円玉なのです。
【読書レビュー】大塚明夫著「声優魂」【要約】&【感想】
みなさんは、大塚明夫さんという声優を知っていますか?
「攻殻機動隊」シリーズのバトー役
「Fate/Zero」のライダー役
「ONE PIECE」の黒ひげ役
などを演じられています。
父親の大塚周夫(ちかお)さんも俳優、声優として活躍された方です。
50歳を過ぎても活躍されている著者が
「声優だけはやめておけ」というのです。
その理由として、声優業界の厳しい環境があります。
2000年代に入り、アニメの制作数は激増し、フルボイスのゲームも珍しくないとのことです。
著者も声優が求められる場は30年前に比べて、多くなってきたと感じているようです。
とはいうものの、現状は300脚の椅子を、1万人以上の人間が奪い合っている状態だというのです。
つまり、声優になったところで、もらえる仕事はろくにないというのです。
著者は、こんなに商売として成り立っていないものを、安易に将来の「職業」として選ぶのは危険だというのです。
そんな厳しい世界で、これまで声優を続けてこられた著者の秘密はどこにあるのでしょうか?
私が本書の中で面白いと思った所をいくつかご紹介します。
まず、著者は、我々の仕事は「声づくり」ではないというのです。
「役づくり」だというのです。
この部分を取り違えている限り、いい芝居に近づけることはないといいます。
舞台役者だろうが声優だろうが「芝居」をしていることには変わりはないというのです。
私は、声優というのは声だけで勝負をする世界だと思っていました。
ですが、「声」だけにとらわれていると、いい芝居はできず、声優の世界では生き残っていけないようです。
もう一つ気になった所があります。
今も生き延びているベテラン声優はたいてい、芝居をすることが本当に好きだというのです。
著者はこれまでに大勢の新人声優と出会ってきたそうです。
ですが、「演じることが本当に好きだ」という人にはほとんど出会ったことがないというのです。
舞台の世界にいくと、「何がなんでも芝居が好き」という人が山ほどいるそうです。
舞台だと、そもそも「食っていけるかも」などと甘い夢を抱く人がいないので、「本当に好き」な人しか近寄らないのではというのです。
飯が食えなくても、バイトをしながら50歳まで楽しく芝居を続けているという人がゴロゴロいるというのです。
そういう世界を知っている著者だけに、声優を目指す人の話を聞いていて「好き」という言葉が「軽い」と思うことがよくあるそうです。
本当に好きであれば、その大好きな芝居がやれるというのなら、どんな条件を差し置いてもやるはずだというのです。
なぜかというと、「やらずにはおれないから」だというのです。
その見極めをするためにも、まずは
「自分が一番やりたいことは何ぞや」
ということを、より正確に、より自分に厳しく知る必要があるというのです。
私は、二浪までして公務員を目指しました。
そして、なんとか公務員になることができました。
大学4年生の時、就職活動をしていて気が付いたことがありました。
それは「自分がやりたいことは、より多くの人のために役に立つ仕事をすることだ!」
ということでした。
私は、公務員になるという夢を追いかけ、2年という年月を費やしました。
2年目は予備校にまで通い、少なからぬお金も使いました。
そこまでの思いと、時間、お金、労力をかけて叶えた公務員という仕事でしたが、私には向いていませんでした。
たまたま、入った役所が向いていなかったのかもしれません。
結論として、私は、19年目に過労でうつ病になり、起き上がれなくなりました。
その後、2年半ほど休職して復帰を目指したものの、復帰の目途は立ちませんでした。
結局、公務員の仕事は休職期間満期を待たず、早期退職することにしました。
早めに辞めたことは、結果的に自分にとっては良かったと思います。
自分に合わないこと、嫌なことを無理やりごまかしてやり続けたからこそ、心身に無理が出て故障してしまったのです。
それは、倒れてから自分のことをゆっくりと落ち着いて振り返ることができたからこそ分かったことでした。
本書を読んでいて、職業は違えど、どの世界でも同じなのだなと感じました。
著者も、「生き方の選択」という言葉を使っています。
いくつかある職業の中からどれかを選ぶというよりも、自分がどのように生きていくのかが問われるのだと思います。
【読書レビュー】西畠清順著「教えてくれたのは、植物でした」【要約】&【感想】
著者は、明治元年から150年以上続いている、花と植木の卸問屋「株式会社 花宇」の5代目になります。
日本全国、世界中を旅しながら、植物の収集、生産する仕事をしているそうです。
著者は、私たちが日常生活の中で使っている言葉や言い回しには、実は、植物から得たものがたくさんあるといいます。
「念ずれは花ひらく」という言葉は、強い思いを持って行動していれば、いつか夢が叶うという意味で使われています。
ですが、著者はそうではなく、「夢をかなえるためのスタートラインに立てるということ」に気がついたそうです。
植物にとっては、実こそがゴールであり、花はスタートの合図なのです。
実際に日本では、古くから、花が咲くということは、何か物事が始まる前兆ととらえられてきたそうです。
花は始まりの象徴です。
自分の人生を豊かにするために、ちょっとでも植物のことを知ってみよう」と思ったら、何かが始まるかもしれません。
「雑草のように強く生きる」という言葉をよく聞いたことはないでしょうか?
この言葉に使われている「雑草」というのは、実際どのような植物を指すのでしょうか?
実は、「雑草」というのは特定の植物の名前ではないのです。
草本にはそれぞれ名前があるのです。
「雑草」というのは、勝手に人間がつけた呼び方なのです。
雑草というのは、農耕地などに人間の意図に反して侵入して育っている草を指して呼ばれています。
著者は、これは植物に対して大変失礼な言葉ではないかといいます。
植物に造詣が深かった昭和天皇も
「どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草ときめつけてしまうのはいけない。注意するように。」
とのお言葉もあるそうです。
「花を美しいと思えるかどうかは、およそ自分の心次第なんだ。
美しいものをちゃんと美しいと思えることは、自分の心が豊かで幸せな証拠だと思う。」
これは、著者が、秘境イエメンのソコトラ島で「砂漠のバラ」に出会った夜、思い浮かんできた言葉だそうです。
砂漠に咲く1輪の花を「美しい」と感嘆している自分は、本当に恵まれているのだなと気が付いたそうです。
花を愛でることができるということは、心が健全で豊かであるという何よりの証明であるといいます。
著者は、今の時代はものが溢れすぎていて、何が「豊か」なことなのかを見失いがちだというのです。
みなさんも、道に咲いている季節の花を見かけることがあれば、一度立ち止まって、ゆっくり見てみてはいかがでしょうか?
【読書レビュー】池田貴将編訳「覚悟の磨き方 超訳吉田松陰」【要約】&【感想】
みなさんは、吉田松蔭という人物を知っていますか?
幕末に活躍した
◯伊藤博文(初代総理大臣)
◯品川弥二郎(内務大臣)
といった人たちが吉田松蔭に学んでいるのです。
吉田松蔭は、山口県の松下村で塾を始めます。
それが「松下村塾」です。
松下村塾には、教科書もなく、まともな校舎もありませんでした。
教科書は、弟子たちと一緒に最低限のものだけ手作りで作ったそうです。
そこでは、藩の武士階級から選ばれたエリートの子供たちが、一流の講師から一流の教科書を使って学んでいたのです。
松下村塾は色々な点で明倫館とは真逆の存在だったようです。
ですが、歴史に名を残すような偉業を行った人物は、圧倒的に松下村塾から生まれてきたのです。
つまり、いくら建物が立派でも、いくら教科書が立派でも、いくら先生が立派でも、吉田松蔭という人物の教えの前ではほとんど価値がなかったといえるでしょう。
吉田松蔭が松下村塾で教えた期間は、たったの約2年半でした。
その短い間に、塾生たちにどのようなことを教えていたのでしょうか?
吉田松蔭は
「いかに生きるかという志さえ立てさせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」
と信じていたそうです。
なので、一人ひとりを弟子としてではなく、友人として接していたそうです。
入塾を希望する少年には
「教える、というようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」
と話していたそうです。
みなさんは、コーチングというものを知っていますか?
ものすごく簡単に説明すると、目標達成をするための方法論です。
「私の後ろを歩かないでください。私はあなたを指導しているのではないのだから。
私の前を歩かないでください。私はあなたに従いたいのではないのだから。
私の隣を歩いてください。ただ、私の友人になってください。」
と語っています。
「コーチングではゴールが大事」
「ゴール設定さえできれば、目標達成の8割は出来たも同然」
というような言葉を聞いたりもしました。
実際にコーチングを学んだ私も、そのとおりだと思います。
吉田松蔭の教えは、コーチングととても似ているのです。
アメリカでは、全米上位500社の企業のうち62%がコーチングを導入しています。
1990年始めから2010年頃までの、失われた20年という日本経済が停滞していた期間をよそに、アメリカからはどんどん新しいテクノロジーや企業が出てきました。
これは幕末に、松下村塾から続々と偉業を成し遂げていく人材が出てきた状況にとてもよく似ていると思うのです。
つまり、コーチングという現代版吉田松蔭の教えを学んだアメリカからは、次々に有能な才能が生まれ続けているのです。
吉田松蔭は
「いかに素早く一歩目を踏み出せるか」
「いかに多くの問題点に気がつけるか」
「いかに丁寧に改善できるか」
「知識は必要最低限でいい」
「なぜなら、実際に動く前にわかることなんてほとんどないと知っているから」
「行動につながらない学問は無意味だ」
「うまくいくかどうか知らないが、これをやらなければなにも始まらない」
という考えだったそうです。
自分がやりたいと思うからやる。
私は、コーチングを学んでからシンプルに物事を考えて行動ができるようになりました。
心が動いたら、とにかくやってみる。
実際に行動して、実践してみる。
やってみて初めて分かることがある。
そして、しばらくやり続けてみることで、さらに初めて分かることがある。
これは実際に自分でやってみたからこそ体感として理解、納得できることです。
実践、行動を重視するというのはものすごく大事なポイントです。
吉田松蔭は、物事には本質と枝葉があるといいます。
枝葉というのは知識のことです。
本質というのは「どう生きたいのか」という志のことです。
知識だけが増えてもしょうがないのです。
志のために行動をするのです。
そして、志のために行動したからこそ、はじめてその学問を理解できたと言えるのです。
吉田松蔭は、武士の生き方を理想としていたそうです。
武士は、日常から無駄なものを削り、精神を研ぎ澄ましています。
自分の美学のために、惜しみなく自分のみを削っていたのです。
自分にとって本当に大切にしたいことはなにか?
大切にしたいことのために、今自分ができることはなにか?
その問の繰り返しが、人生を豊かにしてくれるのです。
私は、コーチングを学び始めた頃、自分のゴールが見つかりませんでした。
せっかく高い授業料や高い飛行機代、宿泊費も払ってスクールに通って学んでいるのに、自分は全く意味のないことをしているのではないかと悩んだときがありました。
ですが、ゴールはなにも大きなものでなくても構わないのです。
小さなやりたいことを少しずつ重ねていけばいいのです。
私は、ワーカホリック気味の生活が長く続いていたせいで、自分の感覚が少し麻痺していたところがありました。
生活のほとんどすべてを仕事のために使っていた状況だったのです。
その上さらに、結婚、子供が生まれて育児にも追われることが重なりました。
仕事の上に家事、育児が重なり、さすがに私も過労で倒れてしまいました。
診断はうつ病ということで、しばらく仕事も休むことになりました。
そのような状況になって初めて
「自分が本当にやりたいことは何か?」
という自分の小さな声に耳を傾けることができるようになりました。
「そんなちっぽけなこと価値がない」
「そんなのできるわけがない」
「実際にやるのは難しいのではないか」
自分に制限をかけていたのは、他ならぬ自分だったのです。
人生はいつまでも続くものと思い込んでいないでしょうか?
実は、私はそう思い込んでいる中の一人でした。
ですが、過労とうつ病で倒れた私は、自分の心身がいつどうなるか分からないということを身をもって思い知らされました。
そして、倒れてから約2年が経った今でも、まだ病気は完治せずに通院治療を続けています。
過労で倒れてからは、時々、「独特の疲労感」に襲われます。
そのときの「独特の疲労感」というのは、「自分の命を削っている」とさえ感じるものなのです。
本気で生きるということは
「わずかな残り時間で何ができるか」
を必死で考えることではないでしょうか。
吉田松蔭は30歳で、その生涯を閉じます。
やり残していることがあれば、臆せずにやればいいのです。
私はコーチングを学んでから、やりたいことがどんどん出てくるようになりました。
あまりにもやりたいことが多すぎて困ることがあります。
それは、時間がいくらあっても足りないということです。
人は平等に1日24時間しか与えられていません。
今の私は「時間ほど大切なものはない」ということを痛感する日々です。
自分の体調を考えれば、人はいつどうなるか分からないということを常に意識しています。
「すぐに行動しなければ、時間は待ってくれない」
「歳をとってからでは遅すぎる」
「時間は限られている」
「一生をかけても、自分がやりたいことを全部やり遂げることはできないかもしれない」
といったことをより強く感じるようになりました。
コーチングは自分がどう生きるかという生き様を学ぶことです。
吉田松蔭の生き様や言葉から、自分の人生に活かしていけること、学べることはとてもたくさんあります。
本書を読んで、みなさんも自分らしい人生を生きるために、人生をより加速させて、豊かな人生を送られてみてはいかがでしょうか。
【読書レビュー】ケヴィン・ダットン、アンディ・マクナブ著「サイコパスに学ぶ成功法則」【要約】&【感想】
みなさんは「サイコパス」という言葉を聞いたことがありますか?
聞いたことがある人なら、冷酷な殺人鬼のような人物を想像するかもしれません。
著者は成功するために、よいサイコパスの特性から7つの行動原則を教えてくれます。
1 実行あるのみ
2 ここぞというときに、やり遂げる
3 自分に正直になる
4 説得の黒幕になる
5 我関せずで怒りを抑える
6 いまを生きる
7 感情に流されず行動する
これらの特性については、本の中でさらに詳しく書かれています。
私はコーチでもあるので、どうしてもそれぞれの特性をコーチング目線で見てしまいます。
7つの行動原則は、コーチングとの共通点が多いことに驚きます。
では、サイコパスとコーチングは、どういったところが共通しているのでしょうか?
まずは、実践、行動あるのみ。
サイコパスもコーチングも、成功の秘訣はこれに尽きるのかもしれません。
考えるだけではなく、実際に行動してみること、実践することを重視しています。
先延ばしにすることなく、やりたいと思ったらすぐに行動することです。
完璧にできるかどうかは深く考える必要はないのです。
サイコパスは失敗をすることを「贅沢なことである」とまで言い切ります。
「失敗する」ということをこのようなレベルで考えることができれば、もはや恐れるものはありません。
そして、行動、実践を続けているうちに、結果的にいつの間にか目的を達成してしまっているわけです。
また、行動するためには、目標や自分が何を望んでいるのかということをはっきりさせなければいけません。
そのためには自分に正直になることがとても大事です。
そうでなければ、自分が本当にやりたいことや達成したいこと、欲しい物がわからないからです。
著者は、そもそも自分の目標が何なのか分かっていないために、目標を達成できない人がどれだけ多いことかと嘆いているほどです。
自分に対して正直であるということは、想像する以上に難しいことなのかもしれません。
私たちは、普段、たくさんの人たちに囲まれた中で集団生活を送っています。
「周りから仲間はずれにされないだろうか」
という不安。
あるいは
「周りのみんながやるから」
「周りのみんながやっているから」
「自分もそれらに合わせないといけないのではないか」
というプレッシャー。
そのような無言の圧力によって押しつぶされそうに感じたり、あるいは周りにいる人から何か言われたりしたことはないでしょうか?
こうしたときに大事なのは、周りの人から無理に好かれようとしないことです。
また、無理に集団の中に溶け込もうとしたり、グループに入ろうとしないことです。
多くの人から認めてもらう必要はまったくないのです。
多数派の意見と違う意見だからといって、自分の意見を言わずに我慢する必要もないのです。
あくまで、自分自身の考えや信念を貫き、自分のやるべきことに集中して、それを実践するだけです。
ときには周りから冷酷と思われることがあるかもしれません。
著者は、周囲から何かをするようにプレッシャーをかけられたら
「それは自分が褒められていると思えばいい」
のだといいます。
あまり周りの人たちに対して罪悪感を抱かず、自分に自身を持つことが大事なのだというのです。
そして、過去のことを思い悩まず、今を生きることが大事だといいます。
それは、過去を悔やんだり将来を不安に思っても、何もいいことはないからです。
これから先に起こるかもしれないことや、失敗するかもしれないことを心配しすぎて現在を見失うことのほうがよっぽど問題だといいます。
そうなってしまうのは、現在すべてが完璧にうまくいっているという事実を完全に見落としているからだというのです。
いまこの瞬間を生きるというマインドフルネスの手法が注目されています。
マインドフルネスは脳科学の分野でも効果が認められているのです。
今の自分を冷静に見つめ、自分の心に正直に従って生きることができれば、サイコパスの良い特性を生かし、より自分らしく生きていくことができるのです。
私は「サイコパス」という言葉は聞いたことがありました。
ただ、あまりいい意味で使われている言葉ではないと思っていました。
現代的な冷酷で犯罪者のような人を表している言葉だと勝手に思っていたのです。
サイコパスにはたくさんの特性があります。
・冷酷
・恐怖心の欠如
・自信
・高い集中力
・高いプレッシャーの中での冷静さ
・精神的な強さ
・魅力やカリスマ性
・共感度が低い
能力が高く見えたり、他人よりもすごく見えたりするプラスの面もあります。
一方で、それらの才能や能力は、裏を返せばマイナスの面として捉えることもできます。
私はコーチでもあります。
なので、本を読んでいると、サイコパスはコーチングに通じるところがとてもたくさんあることに気がつきます。
コーチングも使い方によっては悪用できるかもしれません。
ただ、私の個人的な感想としては、わざわざコーチングを学びに来る人にコーチングを悪用する人はいないと感じています。
ただ、それも絶対とは言い切れません。
サイコパスの能力は、元々生まれながらにして持っている才能や素質です。
コーチングに匹敵する強力なツールを生まれながらにして持っているわけです。
なので、生まれ育った環境や本人の性格などによって、サイコパスの才能をどのように使うかは人それぞれ違ってくると思います。
そこが、サイコパスの場合「いいサイコパス」と「悪いサイコパス」に分かれてしまう理由かもしれません。
著者もサイコパスには
・世の中で成功するかしないか
・社会の利益になるように行動するかしないか
など色々なタイプのサイコパスがいるといいます。
そこで著者は、サイコパスを4つのタイプに分類しています。
1 よくてよい
2 悪くてよい
3 よくて悪い
4 悪くて悪い
著者は、「よくてよい」サイコパスの代表的なキャラクターとして、007シリーズに出てくるジェームズ・ボンドを選んでいます。
ジェームズ・ボンドは、どのような型破りな行動をしても、自分の行動に罪の意識を感じたりすることはありません。
そして、たとえ命の危険があっても、その派手な立ち回りの中で死んでしまう心配を感じることもありません。
また、ピンチの状況における頭の良さや冷静さは知性の象徴でもあります。
優雅さと残酷さにかけては世界最高レベルといっていいでしょう。
次に「悪くてよい」サイコパスの代表的キャラクターとして、天才投資家、ゴードン・ゲッコーを選んでいます。
ゴードンは、自分のためだけにサイコパスの能力を発揮します。
無慈悲な企業買収をしながら投資活動を行っていくのです。
企業を乗っ取るとすぐに、お金になる良い資産を売り払い、お金にならないものは従業員もろともバッサリと切り捨てるというやり方です。
つまり、自分以外の他人のことなどはまったく気にしないのです。
次に、「悪くて悪い」サイコパスの代表的キャラクターとして、ハンニバル・レクターを選んでいます。
ハンニバルは、小説に出てくる精神科医でありながら殺人鬼でもある人物です。
どのようなキャラかというと、殺した相手の肝臓を食べた話をして気味の悪い音を出す、ほれぼれするような邪悪な一面を持っています。
無感情に悪を楽しむ、ぞっとするほど冷静な人物なのです。
最後に、「よくて悪い」サイコパスの代表的キャラクターとして、デクスター・モーガンを選んでいます。
デクスターは、アメリカのテレビドラマの主人公です。
血液飛沫の分析を専門とする警察の鑑識官でありながら、連続殺人鬼でもあるのです。
デクスターは、他人の死を楽しみたいという願望を満たしていきます。
ですがその反面、法律では裁ききれない殺人犯を始末していくことで、殺人犯から市民の命を守っているのです。
デクスターは、残酷で野蛮なケダモノのような人物です。
ただその反面、まっとうで控えめな洞察力のある人物でもあるのです。
つまり、デクスターという一人の人間の中に、善と悪の両方の要素が同時に存在しているのです。
今回の本を読んで、私はサイコパスに対するイメージがかなり変わりました。
元々のイメージどおりな面もあります。
ですが、悪い面よりもすぐれた面がたくさんあることが分かりました。
サイコパスは、まだまだ誤解をされているところが多いかもしれません。
ですが、サイコパスの良い面、すぐれた面を少しでも取り入れて、実践・行動してみる価値は十分あると思います。
そうすることで、飛躍的に自分らしい人生を送ってみてはいかがでしょうか。
【読書レビュー】佐藤優著「読書の技法」【要約】&【感想】
みなさんは、どのような本を読んでいますか?
著者は、本には3種類あるといいます。
「簡単に読むことができる本」
「そこそこ時間がかかる本」
「ものすごく時間がかかる本」
の3つです。
読みやすいからといって内容が薄い本というわけではありません。
著者は、読まなくてもいい本をはじき出すために速読をするそうです。
そして、あまり上級の知識を身に付けようと欲張らないことが大事だといいます。
読書をすることで最も大切なことは、自分の知識を使って、現実の出来事を説明できるようになることだからです。
著者は、熟読の具体的な方法を紹介してくれます。
「本にシャーペンで印をつけながら読む」
「本に囲みを作る」
「囲みの部分をノートに写す」
「結論部分を3回読む」
などです。
まず、本を読むための基礎知識はどのように身につければいいのでしょうか?
また、どうすれば自分にどの基礎知識がないことが分かるのでしょうか?
著者は、大学入試のセンター試験の活用を勧めています。
一番いいのは、センター試験の過去問を解いてみることです。
そうすれば、自分がどの知識が足りていないのかを知ることができるといいます。
ですが、実際にそこまでするのはとても面倒ですよね。
著者は科目ごとに高校生が使うお勧めの教科書と学習参考書を紹介してくれます。
実際に、センター試験を受けなくても、それらの書籍を参考にして勉強してみるのもいいと思います。
何もすべての科目を勉強することはありません。
まずは、自分が興味・関心がある科目、好きだった科目から読んでみてはいかがでしょうか?
私の受験勉強は、ただやみくもに自己流の勉強をしていただけでした。
私も、自分が中学・高校時代に本書を読んで勉強の仕方や学習参考書を知っていれば、かなり違った進路を進んでいたのではないかと思います。
私は40代半ばになります。
それでもこれからは人生100年時代になることを考えれば、まだまだ折り返し地点にも来ていないのです。
何もこれから勉強を始めるのに遅くはないのです。
今からでも自分が欠けている基礎知識を補い、よりレベルの高い読書ができるようになればどうでしょうか?
そうすると読書の幅も広がります。
古典と言われる本も読めるようになります。
古典を味わって読むことができれば、間違いのない知識、古びない知識を得ることができます。
そうすると、人生がより豊かになり、より人生を楽しむことができるようになります。
年齢を気にすることはないと思います。
今からでも何かできることを少しずつ始めてみてはいかがでしょうか?
私は、早速、著者がお勧めする、現代文と数学の学習参考書をアマゾンで注文しました。
私も高校生の時に、学習参考書を使ったことがあります。
ですが、著者がお勧めしている学習参考書は、私が使っていた学習参考書とはまったく違いました。
著者が勧める学習参考書は、「学習参考書」というよりも、「一般書」といった読む本に近い感じがします。
数学は、数式を使いながら問題を解いていきます。
また、問題を解く前にあらかじめ公式を覚えておく必要があります。
ですが、私が高校当時、それら数式や公式について、日本語で意味を解説してくれる教科書や学習参考書はありませんでした。
学校の先生も授業で説明してくれることはありませんでした。
私は、数式や公式にもそれぞれ意味があるのだから
「微分」とはどういう意味なのか?
「積分」とはどういう意味なのか?
それらのことが教科書できちんと日本語で説明されていなければおかしいのではないか?
意味も分からずに数学の問題を解いていくのは、ただの作業じゃないか?
などと思っていました。
意味が分からなければ自分で調べればいいようなものですが、当時の私にはそんな知恵すらもありませんでした。
そんな私にとって、約20年越しに疑問を解決できるいい機会でした。
アマゾンで注文した数学の本には、私が高校当時から疑問に感じていたことが、見事に書かれていました。
著者は、数学や外国語は、教科書や参考書を読むだけで理解することは不可能だといいます。
それらの勉強は、体で覚える技術の要素があるからだというのです。
これをギリシア語で「テクネー」というそうです。
確かに、外国語は言葉なので「読む」、「書く」、「話す」ということを実際に使ってみてなんぼだろうというのはわかります。
また、外国語を話せる人でも、しばらく外国語を話す機会から遠ざかると、話せなくなるということを聞いたことがあります。
でも、まさか数学にも同じようにテクネーの要素があるというのは驚きました。
私は、そのような知識もないまま、学生時代、受験に取り組んでいたわけです。
車の運転と同じで、知識と体で覚える技術が一緒になって、自然に使えるようになるのです。
そこまでにならなければ、本当に自分の身に付いたとはいえないのかもしれません。
何かを習得していくというのは、どの分野にも共通するようなことがあるように思います。
著者は、毎月約300冊の本を読むそうです。
ですが、その中でも熟読をしている本は4~5冊ということです。
残りの本は「速読」あるいは「超速読」で読んだりしているようです。
著者は、速読するにも本に書かれている内容の基礎知識がなければ、速読はできないといいます。
このことは、私がこれまで読んできた他の速読本にも書かれていました。
また、私自身の読書体験からも同様なことは感じています。
元も子もない話ですが、知らない内容の本は速読することができないわけです。
言われてみれば当たり前のことかもしれません。
当たり前で地味なことだけれど、しっかりとした内容を書いてくれる著者にはとても感謝しています。
読者からすると限られた時間を有効に使うことができるからです。
そして、結果的には最短距離で読書の技術を学ぶことができるのです。
世の中には、超天才のような人がいて、難しい本でも軽々と内容を理解して速読ができる人がいるのかもしれません。
ですが、私のような超凡人にとっては、ゼロからコツコツと積み上げていくという地味な作業がどうしても必要になります。
速読に関する本を探せば、フォトリーディングなどたくさんの速読についての本があります。
私も速読についての本を3冊ほど読んだことがあります。
「2行分まとめて読む」
「目次、まえがき、あとがきを先に読んで本に書かれている概要を先に頭に入れておく」
「内容が分からなくても何回も読んでいくことで、理解できるようになる」
というような内容でした。
私も速読の本で読んだことはすべて実践してみました。
2行まとめて読む方法は、1行まとめて読むことさえもできませんでした。
目次、まえがき、あとがきを先に読む方法は使えると感じています。
本を読む前に、あらかじめおおまかな情報を頭に入れておくことで、ウォーミングアップの効果があると感じています。
内容が分からなくても読み進めていく方法は、本の概要を掴むことはできるかもしれません。
本の内容を十分に理解することはできないまでも、続けて2回目を読む必要があるか、今後、いつか読む必要がありそうかどうかといった判断はできると思います。
そういう点では使える読み方かなと思います。
結局、私は、本を自分のペースで読んでいます。
速読では難しい本や古典と言われている本の内容について、まともに理解して読むというのは難しいことです。
なので、私は、自分のレベルに合った読みやすいものを選んで読むようにしています。
それでも別に、読みたい本はたくさんあるので読む本に不自由することはありません。
また、読みやすいからといって、内容が薄いとか価値があまりないということはないと感じています。
それは、たくさん読んでいるうちに、自分にとって必要な本、価値がある本を選べるようになってきていることもあるかもしれません。
また、最近は、難しい内容をとても分かりやすく書いてくれている本がたくさん出ているように思います。
読者からすれば、とてもありがたいことだと感じています。
ですが、いくら読みやすいからといって1回読んだだけで内容が身につくことはありません。
私の場合、最低2回は読んでから、本の内容をブログに書くようにしています。
自分の感想も交えてアウトプットすることで、本の内容がより身に付くようになります。
結局、ブログを書くとなると、2回どころかさらに何度も読み返すことになります。
なので、本の内容を身につけるためにブログを書くというのは、かなりオススメな方法です。
「時間ほど大切なものはない」
「時間は限られている」
読書をしていて、痛切に感じる言葉です。
これから何か新しく勉強や読書を始めたい人。
あるいは、勉強や読書を始めたものの本の読み方がよくわからないという人にとっては、今回の本はとてもいい本だと思います。
読書ができるようになるだけではなく、色々な分野に応用して活用できる本だと思います。