高橋和巳著「消えたい」について

みなさんは、幸せについて考えたことがありますか?

 

幸せといっても、人によって何が幸せと感じるかはそれぞれ違ってくると思います。

高級住宅地で大豪邸に住むこと、ベンツやBMWなどの高級外車に乗ること、高級ホテルで最高のディナーを満喫すること、海外旅行にいくことなど、幸せを感じることができることは世の中にたくさんあると思います。

 

ちなみに、私が幸せと感じるのは、家族3人で食事をしているときや、4歳の娘と一緒に遊んでいるときや、読書をしているときや、パスコのぶどうパンを食べているときなどに幸せを感じます。

また、ただ、なんとなく、青空を見ているだけでも幸せだなと感じることもあります。

人によって何が幸せと感じるかが違うということは、人によって何がどれだけ幸せなのかという幸せを測る物差しが違っているからではないでしょうか?

 

ところで、小さい頃に親から虐待を受けたり、周りからひどい目にあうなど、辛い思いをして大人になった人は、幸せということをどのように感じているのでしょうか?

また、幸せを感じているとしても、幸せについてどのように考え、感じているのでしょうか?

 

虐待を受けて育った人たちには、共通した特徴があります。

それは、一般社会の中で普通の人たちと一緒に、世の中のルールをきちんと守って生活しているのですが、周りの人たちと、嬉しいとか、楽しいとか、悲しいとか腹が立つとかいった感情を味わうことができないことです。

そのため、安心感を持って生活することができなかったり、人を信頼することができなくなっているのです。

作者はこういった人たちのことを「異邦人」という言い方をしています。

同じ地球で生活している人間同士なのですが、「異邦人」の人達は普通の人とはどこか感覚やものの感じ方が違っているため、まるで宇宙人のような感じがすると言っているのです。

 

では、どのような虐待を受けてしまうと、「異邦人」と呼ばれるような人になってしまうのでしょうか?

それには2つ段階があるのです。

まず第一段階としては、赤ちゃんぐらいの小さい頃に起こります。

例えば、赤ちゃんがお腹がすいたので泣いても、お母さんがおっぱいをくれるときもあれば、長い間ほったらかしにされておっぱいをもらえないこともあったりすると、お腹がすいたので泣いたという自分の感情と、おっぱいを飲んでお腹がいっぱいになったという感覚がつながらなくなってしまうのです。

もう一つ例をあげると、寒さを感じて震えていても、「寒そうにしているね」と親から声をかけてもらうことがなければ、自分が寒いと感じている感情と、寒いということの感覚がつながらなくなってしまうのです。

このようにして、自分の感情と周りの感覚がずれていくので、生きているという実感が自分で分からなくなってくるのです。

ですが、それでも小学校を卒業するまでには、学校の中で守らないといけないルールは頭では理解できるようになります。

ただし、それは、守らないといけない義務として本人にとっては大きなプレッシャーになってしまうのです。

そして、第二段階としては、第一段階の時点で親と自分の感情を分かち合うことができていないまま生活を続けてきたため、親に対してもどこか孤立した感覚が子供に育ってしまうのです。

その結果、その子供は、親に対する反抗期がないまま大人になってしまうのです。

そうすると、大人になっても社会のルールをきちんと守って生活することはできるのですが、なぜか安心感を持てなかったり、人を信頼することができなかったりして、孤立した感じや不安定な感覚を感じながら生きることになってしまうのです。

 

例えば、小さい頃に母親から虐待を受け、死にたいとまで思い悩み苦しみながらも大人になり、大人になってからも頑張って仕事を続け、うつ病にまでなってしまった方もいます。

その方は、大人になっても、自分の食べ物の好みさえ自分でわからなくなってしまうのです。

みなさんも、自分の好きな食べ物がわからないという感覚というのは、考えても想像することが難しいのではないでしょうか?

その方は、大人になってから心療内科で治療を受けていくうちに、自分本来の感覚を取り戻していきます。

そして、普通の生活ができて、美味しく食べることができて、ぐっすり眠れて、誰かと気持ちを通じ合うことができれば、十分幸せだということに気づいていくのです。

 

みなさんの多くは、綺麗な花を見ると「綺麗だな」と感じたり、銀行強盗のニュースを聞くと「悪いことをする人がいるな」と思ったりすると思います。

では、綺麗な物をみて綺麗と感動する心や、物事の良い悪いといった判断はどのようにして生まれてくるのでしょうか?

 

それは、小さい頃、特に母親と一緒に生活していく中で育っていきます。

ですから、もし、赤ちゃんの頃、母親から虐待を受けて育ってしまうと、自分の感情がわからなくなったり、物事の良い悪いの判断が十分できなくなってしまうのです。

虐待というのは、例えば、殴る、蹴るなどの暴力を受けたり、御飯を作ってくれなかったり、兄弟姉妹がいる場合、兄や弟、姉や妹と明らかに差別される扱いをされたり、性的な関心で体を触られたりする場合など、色々なパターンがあります。

 

このように、親から虐待を受けて育ってしまうと、自分で自分のことがわからなくなったり、生きる希望を見つけられなくなったり、生きることが義務としてしかとらえられなくなったり、精神的に追い詰められて生きるのがしんどくなってしまいます。

そして、それが体調にも悪い影響を与えてしまい、日常の普通の生活をすることさえも大変になってしまうのです。

自分の限界を超えるまでにつらい経験をしてしまうと、本来の自分を見失ってしまい、普通に生活している人が見ている景色や、物事に対して、同じように見えなくなってしまったり、感じることができなくなったりしてしまうので、周りの人たちとは生きる世界がまるで違ってしまうのです。

そうすると、世界の見え方や見方も違ってくるわけです。

そして、その結果、周りの人からは、少し変わった人のように見られたり、場合によっては、発達障害ではないかという疑いを持たれたりすることもあるのです。

 

実は、私も以前、過労で倒れ、一時期は寝ていることしかできないということを経験しました。

その経験から学んだことがいくつかあります。

それは、やはり物の見方が変わったことです。

例えば、これまではあまり見えていなかった家事や育児の大変さをずっと身近に見ることができたことで、家事、育児を日中ほとんど一人でやってくれていた妻に対して、感謝の気持ちがより湧いてきたり、食事についても、これまでは仕事で忙しく、食事というのはいかに早く食べるかということを考えて食事をしていたわけですが、寝込んでからは、食欲もなくなり、思うように食べられなくなったことで、食べ物に対するありがたみを強く感じたり、よく噛んでゆっくり味わいながら食べるようになったり、食事の食べ方も随分変わりました。

また、自分のように過労で倒れて苦しんでいる人が世の中にはたくさんいることに気がつくことができたことで、改めて自分の人生を振り返ったり考えることもできました。

 

そして、自分が経験したことから言えることは、辛い経験をすることで、確かに物の見方、考え方は少し変わるのですが、そのこと自体は、決して悪いことではなく、むしろいい方向に変わるのではないかということです。

 

辛いこと、苦しいこと、嫌なことなどは誰も好き好んで経験したいとは思わないですよね?

ですが、もし、仮にそういった辛い経験をしてしまっても、それは必ず乗り越えられますし、乗り越えた先には、自分にとってプラスになるものが待っているということです。

 

もし、過去につらい経験をされて、それが心や体になんらかの影響が出てしまい、「変わっている子」扱いをされたり、うつ病になって苦しんだり、人からの親切を素直に受け取ることができなくなったり、自分の子供のことが恐く感じるようになったりなど、つらい人生を送ってきたとしても、それは必ず回復することができます。

まずは、お医者さんによく見てもらい、薬を飲んだり、ゆっくり休養を取ったり、これまで人一倍頑張ってきた自分をいたわり、休めてあげることです。

 

社会の中で、周りにいる人たちと普通に生活ができるようになっていくためには、優しい家族や親しい人との間で、小さなことで褒められたり、みんなと同じことを感じていることを確認したり、物事の良い悪いの判断や世間で常識とされていることなどを分かち合っていくことです。

そうすることで、少しずつ自分本来の感覚を取り戻していくことができたり、自分を縛っていた義務感から解放されて楽になったり、普通と言われている考えが分かるようになってきます。

そして、少しずつですが、自分を縛っていた過去から自由な広い世界で楽に生きていくことができるようになるのです。

 

ところで、虐待を受けて育った「異邦人」と呼ばれる人たちがコーチングを受けることは効果があるのでしょうか?

コーチングは、まずゴールを設定することから始まります。

「異邦人」と呼ばれている人たちも、普通の人と同じように社会に出て生活を送っているので、何か目標を設定して頑張ることはできると思います。

ただし、その設定した目標が果たして本当に自分が心からやりたいこと、あるいは成し遂げたいと思っている目標であるかどうかということについては、大きな疑問が出てきます。

どういうことかというと、ゴールは自分が心の底からどうしてもやりたいという抑えることができないほどの強い欲求によって見えてくるものですし、また、それがゴールに向かう原動力にもなっていきます。

そうなると、「異邦人」と呼ばれている人は、自分で自分の感覚や感情がわからないため、自分がやりたいことは何なのか、自分の好きなものは何なのか、ということが自分で分からないので、いきなり最初から自分のやりたいをゴールに設定するということは少し難しいかもしれません。

ですが、カウンセリングを受けるなどして、少しずつでも自分が本来持っている感覚や感情を回復させていくことで、自分自身の感覚や感情が分かるようになれば、その人本来の姿を取り戻すことができると思います。

そうすれば、自分でゴールを設定することもできるようになり、自分が本当に望む自分らしい人生を歩んでいくこともできるようになると思います。