岸見一郎、古賀史健著「嫌われる勇気」について

この本は、心理学の三大巨頭と呼ばれているうちの一人、アルフレッド・アドラーという心理学者の考えについて書かれています。 

 アルフレッド・アドラーという人は、オーストリア出身の精神科のお医者さんで、20世紀の始めころに活躍した人物です。

 ところで、人は変われることができるでしょうか。

 例えば、登校拒否になって引きこもりになっている男の子A君がいたとします。

 彼は、外に出たいと願っているし、できることなら学校にも行きたいとも思っています。

 つまり、今の自分を変えたいと思っているわけです。

 しかし、A君は部屋の外に出るのが怖しい。

 一歩でも外に出ると、胸がドキドキして、手足が震えてしまいます。

 こういう状況なので、変わりたくても、変われないわけです。

 A君が外に出られなくなった理由は、どこにあるのでしょうか。

 両親との関係、あるいは学校でいじめを受け、それがトラウマになっているのかもしれません。 

 現在、登校拒否になっているA君は、過去の出来事によって、今の状態になっていると考える人が多いのではないでしょうか。

 つまり、過去の何らかの原因によって、今の状態になっているという考えです。

 では、この状況をアドラーはどのように見ているのでしょうか。

 アドラー心理学の考えでは、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」について考えていきます。

 今回のA君の例でいえば、「不安だから外に出られないの」ではなく、「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えます。

 ただ、このA君は、仮病を使っているわけではなく、A君が感じている不安や恐怖は本物です。

 これらの症状も、「外に出ない」という目的を達成するために作り出されたものと考えます。

 アドラー心理学ではトラウマ(心に負った傷)をはっきりと否定します。

 例えば、大きな災害に見舞われたとか、幼い頃に虐待を受けたといった出来事が、人格形成に与える影響は強くあるでしょうが、それによって何かが決定されるわけではないということです。

 では、どうしてA君は、外に出たくないのでしょうか。

 外に出ることなく、引きこもっていれば、親が心配し、親からの注目を集めることができ、丁寧に扱ってくれたりもします。

 その一方で、家から一歩でも外に出てしまえば、誰からも注目されることなく、その他大勢になってしまいます。

 そして、誰もA君を大切に扱ってくれなくなります。

 こういったことは、引きこもりの人によくある話です。

 引きこもりのA君にとって、今の状態は不満でしょうし、幸せというわけではないでしょうが、A君が目的に沿った行動をしていることは間違いないのです。

 アドラー心理学では、その人が世界をどう見ているか、また、自分のことをどう見ているか、どういう生き方を選んでいるかを自分で選んでいると考えます。

 なので、自分の性格や気質が生まれながらにして与えられているものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選びなおすことができるはずです。

 問題は過去ではなく、いま現在にあります。

 であれば、この先どうするかはその人の責任なのです。

 これまでどおりの生き方を選び続けることも、新しい生き方を選びなおすことも、すべてはその人の考えにかかっています。

 人はいつでも、どんな環境に置かれていても変われます。

 もし、変われないというのであれば、それはその人が自分で「変わらない」という決心をしているからなのです。

 もしも、「このままのわたし」であり続けていれば、目の前の出来事にどう対処すればいいか、そしてその結果どんなことが起きるのか、経験から推測できます。

 一方、新しい生き方を選んでしまったら、新しい自分になにが起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわかりません。

 つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。

 生き方を変えようとするとき、人は大きな勇気を試されます。

 人が不幸なのは、過去や環境のせいではありません。

 ましてや能力が足りないのでもありません。

 ただ、幸せになる勇気が足りていないのです。

 それでは、どうすれば生き方を変えることができるのでしょうか。

 それは、今の生き方をやめるという決心をすることです。

 あなたは「あなた」のまま、ただ生き方を選びなおせばいいのです。

 これまでの人生に何があったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もありません。

 自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなたなのです。

 自由とはなんでしょうか。

 例えば、衣食住の全てはお金によって取引されているので、お金によって得られる自由もあるでしょう。

 ですが、巨万の富があれば、人間は自由になれるのでしょうか。

 もし、巨万の富を得ても幸せになれないとすれば、どんな悩み、不自由があるのでしょうか。

 いくら巨万の富があっても、親友と呼べる仲間もなく、みんなから嫌われていれば大きな不幸といえるでしょう。

 例えば、他人から認められることは嬉しいものでしょう。

 ですが、認められることが絶対に必要なのかというと、それは違います。 

 そもそも、どうして、他人から褒めてもらいたいと思うのでしょうか。

 例えば、学校で、ゴミを拾う場合、誰からも感謝されないのであれば、やめてしまうかもしれません。

 これはつまり、他人の期待を満たすために生きているということになります。

 他人からの評価ばかりを気にしていると、最終的には、他人の人生を生きることになってしまいます。

 親や先生の期待に応えようと頑張るほど、自分本位で行動することができなくなってしまうのです。

 例えば、なかなか勉強しない子供がいて、授業は聞かず、宿題もやらず、教科書すら学校に置いてくる。

 こうした場合、多くの親は、塾に通わせたり、家庭教師を雇ったり、あらゆる手をつくして子供に勉強をさせようとするでしょう。

 こうして強制的な方法で勉強をさせられた結果、その子供は勉強が好きになったでしょうか。

 答えは、勉強が好きになることはありませんでした。

 アドラー心理学では、今回のような場合、「これは誰の課題なのか」という見方から考えていきます。

 子供が勉強するのかしないのか。あるいは、友達と遊びに行くのかいかないのかは、本来「子供の課題」であって、親の課題ではありません。

 別の言い方をすれば、親が子供の代わりに勉強をしても意味がないわけです。

 アドラー心理学は、「これは誰の課題なのか」という見方から、自分の課題と他人の課題を分けて見ていきます。

 そして、他人の課題には踏み込みません。

 まずは、「これは誰の課題なのか」を考えてみましょう。

 そして、課題を分けましょう。

 どこまでが自分の課題で、どこからが他人の過大なのか冷静に線引きをしてみましょう。

 他人が自分のことをどう思うのか、自分に対してどのような評価を下すのか、それは他人の課題であって、自分にはどうすることもできません。

 自分にできることは、自分に嘘をつくことなく、やるべきことをやるだけなのです。

 自分を変えることが出来るのは、自分しかいないのです。

つまり、自由とは他人から嫌われることになります。

他人からの評価を気にかけず、他人から嫌われることを怖れず、認めてもらえないかもしれないということを気にしないようにしないと、自由にはなれないのです。

他人にどう思われるかよりも先に、自分がどうあるかを貫くことで、自由に生きることができるようになるのです。