【読書レビュー】石倉三郎著「粋に生きるヒント」【要約】&【感想】

著者の石倉三郎さんは、1946年生まれの俳優です。

1980年代には、故レオナルド熊さんとコンビを組んで「コント・レオナルド」としても活躍された方です。

市川崑北野武井筒和幸といった監督の作品にも出演されています。

 

そのような経歴の著者が、これまでの人生を振り返り「世の中の寸法」を語ってくれます。

 

著者は、自分がやってきたことは「3つのことだけ」だといいます。

それが

「棚からぼた餅」

「濡れ手で粟」

「果報は寝て待て」

です。

 

まず著者は、どうやったら「棚からぼた餅」に出くわすかを考えるのだといいます。

ただ突っ立っているだけでは、一生ぼた餅なんて落ちてこないというのです。

 

「ぼた餅に当たる」ために肝心なことは

「最低限、ぼた餅が乗っている棚の下までは自力で足を運ぶ」

ことだというのです。

それをしないことには、あなたの一生に「棚からぼた餅」は起こらないといいます。

 

「目があるんだからよく見て」

「耳があるんだからよく聞いて」

「足があるんだから棚の下へ行け」

そこからすべてが始まるというのです。

 

そのように動いていくことで、目も耳も開いてくるというのです。

 

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著者は「濡れ手で粟」というのは、実はとても合理的な話なのだといいます。

 

何か一つ行動を起こすときに、先のことを少し考えておけばいいだけだといいます。

そうすれば、同じアクションを起こしても、見返りが大きいというのです。

 

実際に、手を濡らすというのは冷たく、誰しもが嫌がるものです。

 

もし誰かに「濡れ手で粟じゃねーか!」

と非難されたら

「だったら、冷たい水に手を付けてみろ!」

と反論すればいいというのです。

 

ここがこの言葉の肝心なところだといいます。

 

著者は、冷たい水に手をつけるという行為は「下準備」を意味しているというのです。

段取りをよくするためには、行動を始める前に、まず自分の頭で先のことを考える必要があるのです。

 

また、最初に世間の誰もがやらないなかで、自分だけは冷たい水に手をつけておけといいます。

 

むしろ、世間がやらないのであれば好都合だというのです。

なぜなら、こちらは一足先にやっていることになるからです。

 

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著者は「果報は寝て待て」という言葉について、ふつうの肝っ玉では寝れないし、待てないものだといいます。

 

ここで著者は、役者を陳列棚に並んだ「七味唐辛子の瓶」にたとえます。

つまり、誰かに手を伸ばして取ってもらわないことには仕事が始まらないという意味です。

 

著者は、棚で並んで待っているときに自分でできることといえば、せいぜい頭の埃を自分で払っておくことぐらいだといいます。

埃が積もっている瓶には誰も手をだしてくれないからです。

 

著者は「自分がすごい」と思っているのは、「自分だけ」だといいます。

誰もがものすごい天賦の才があったり、ずば抜けたIQを持っているわけではないのです。

それなら、謙虚になって棚に立っている瓶でいいのだというのです。

 

ただ、棚に立っている間の暇な時間をどうするかは各人の自由だといいます。

「どこに出してもすげぇわ」

と言われる力を暇な時間の間に蓄えることもできるというのです。

 

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著者は

「今年消えていった芸能人」

というテレビ番組がおもしろいといいます。

 

しょせん、芸能人というのは、咲いても実を結ばずに散っていく徒花(あだばな)でいいのだというのです。

 

年に1回だけでも

「あ、こんなヤツいたな」

「こいつ、何をしてるんだろうな」

という楽しみを他人様に与えることができるのは、すごいことだというのです。

 

私はこの話を聞いてとても勇気づけられました。

 

なぜかというと、私は動画を撮って、その動画をユーチューブにアップしています。

最初は

「この動画にそんなに価値があるのかな?」

「無駄にユーチューブのハードディスクを使って迷惑をかけていないか?」

「自分の動画を見てくれる人はいるのだろうか?」

などと考えたりしていました。

 

ですが、そのようなことを気にしていては何も行動できなくなります。

そもそも、好きで始めたことなのですから、他人の目を気にする必要はないのです。

 

せっかく撮影した動画が誰にも見られず、徒花で終わってしまう可能性もあります。

ですが、別に徒花でもいいじゃないかと思えば、気が楽になります。

仮に他人からは徒花と思われてもかまわないのです。

好きでやっている私にとっては徒花の動画は一つもないからです。

 

だったら、あとはやるしかありません。

小さな実践を一つ一つ積み重ねていくことでしか分からないことがあります。

やっていくうちにアイデアも出てきます。

改善点も見えてくるようになり、少しずつですが進化もしていきます。

 

毎日、コツコツとユーチューブに動画をアップしていくことは、まさに、著者がいうところの

「棚からぼた餅」

「濡れ手で粟」

「果報は寝て待て」

の実践になるのです。

 

職業は違っていても、何らかの結果を出すためにやること、考えることは、みんな同じなのではないかと思いました。

 

みなさんも、自分のできる範囲で、やりたいことを少しずつ始めてみてはいかがでしょうか。

 

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