田村陽至著「捨てないパン屋」について

みなさん、パンは大好きですか?

 

またまた、パン関係の本です。(笑)

そんなにパンが好きなら、本を読まずにパンを作ればいいんじゃない?

と思われそうです。(笑)

 

今回の本は、手抜きをしてパン作りをしているのに、それでも、パンを捨てることなくお店を経営されているパン屋ドリアンの店主が書いた本です。

 

ドリアンが誇りに思っていることは、2015年の秋頃から、1つもパンを捨てていないことです。

この本が2018年11月の出版ですから、これまで、約3年間、パンを捨てていないということになります。

ただし、それまでは、残ったパンを捨てる、普通のパン屋だったそうです。

きっかけは、著者の家にホームステイしていたモンゴル人の女性に

「パンを捨てるのはおかしいよ」

と言われ、それに対して、当時の著者は

「日本じゃ、しょうがないんだよ!」

としか答えられなかったことです。

 

ドカドカとパンを捨てている日本や自分の方がおかしいと思った著者は、早速行動に移します。

まず、菓子パンを作るのをやめます。

さらに、食パンをやめ、バゲットをやめ、クロワッサンをやめてしまいます。

それどころか、ヨーロッパにパン作りの修行に出かけてしまいます。(笑)

最終的には、材料を厳選して、何も具の入っていない2種類の固くて大きなパンを作ることになりました。

 

これは著者が、オーストリアにパン作りの修行に行った「グラッガー」というお店での経験が大きいようです。

労働時間はなんと5時間。

午前8時頃、お店に出てきて、午後1時にはみんな帰ってしまいます。

そして、作るパンといえば、大きなパンや、中に具の入っていないシンプルなパンばかりなのです。

ただし、その代わり、パンの材料は手に入る最高のものを使い、天然酵母で醸して、薪で焼いているのです。

著者が日本で働いていたときは、睡眠もろくに取れず、18時間も働いて、スタッフにもドタバタ働かせて、できたパンは、ここより美味しくなかったのです。

それまで著者は、手をかければかけるほど、良いパンが焼けると思っていました。

ですが、それは違っていたことに気づかされたのです。

つまり、手をかけ、時間をかけ、B級の材料を使うより、手を抜いて最高級の材料を使う方が、つくるのも楽で値段も安く、その上断然美味しいのです。

 

食べ物には、感謝しないといけません。

これは、著者が2002年からモンゴルに2年間住んでいたときに体験したことです。

著者が、現地で羊をさばくのを手伝ったことがありました。

著者は、暴れる羊を押さえる役割でした。

当然、羊も必死に抵抗します。

押さえる著者の手を振りほどこうとする羊の最後の力、生きたいという本能。

そこからは神々しささえ感じたそうです。

その時、「これは余すところなく感謝していただかないとな」と思ったそうです。

食べ物は、みんな死にたくなかったのに、死んで、恵みを与えてくれているのです。

 

実は、パンもこれと同じように、人間と小麦との真剣勝負の中から生まれたのです。

小麦の「消化されてたまるか!生き残るのだ~!」という必死さ。

人間の「これを食べて消化せねば生き残れないぞ~!」という必死さ。

小麦粉の中には、ガム状のタンパク質「グルテン」が入っていて、人間は消化するのが苦手なのです。

ここで消化しにくいものを消化しやすいようにする知恵が発酵なのです。

タンパク質であるグルテンは、パン作りの工程で、乳酸菌によって、消化吸収されやすい状態にまで分解されます。

こういったことは、ご先祖様が自分の身体で味わって試して、人間が生き延びるための食文化として残してきてくれたのです。

 

パン作りで使う「イースト」は酵母菌の集まりです。

人工物ではありません。

なので、イースト自体は悪くもなんともありません。

ただ、問題は「酵母菌は、タンパク質=グルテンを分解しない」ということです。

ですから、イーストで作ったパンは胃に負担がかかるのです。

昔ながらのパン作りは、乳酸菌が主役の発酵です。

なので、そんなパンは食べても消化不良を起こしにくいのです。

イーストのパンが食べられなくても、昔ながらの作り方で作ったパンは食べられる方もいるそうです。

 

昔、「牛乳は身体に悪いよ説」という話があったそうです。

この話は本当なのでしょうか?

本当らしいのです。

どういうことかというと、牛乳に含まれるタンパク質や乳糖は、人間が消化吸収するのにくたびれるものだからです。

では、この問題を人間のご先祖様はどのように解決してきたのでしょうか?

答えは、「ヨーグルトやチーズなどの発酵食品にして食べてきた」です。

「牛乳は仔牛が飲むもので、人間が飲むものではない」という人もいました。

これも正解なのです。

つまり、仔牛は、胃の中に、タンパク質を分解する酵素を持っていて、それによって胃の中でチーズを作って消化吸収しているのです。

それを知ったご先祖様たちが、仔牛の胃からレンネットという酵素を取り出し、牛乳を加工して作ったのがチーズなのです。

称えるべきすごい知恵です。

 

ところで、イーストのパン作りが広がったのにはワケがあります。

まず、誤解されがちですが、イースト自体が身体に悪いものではないということです。

イーストは野生の酵母菌から選抜された自然物なのです。

人口の菌というものはこの世に存在しません。

イーストが広がった一番の理由は、単純に、美味しいパンが焼けたからです。

イーストで作ると、小麦を分解しないので、小麦の味がしっかり残ります。

その上、フワッとサクッと膨らみも良くなるのです。

 

私が大好きなパスコのぶどうパンはイーストで作られています。

イーストというと人工的な化学薬品というイメージがあったのですが、これで安心してこれからもパスコのぶどうパンを食べることができます。(笑)

 

美味しさというものは、2種類あります。

まずは、甘味やフルーティな香りなどの「分かりやすい華やかな美味しさ」です。

もうひとつは、身体が喜ぶ「身体に染みる美味しさ」です。

乳酸菌を活躍させて発酵させたパンは、華やかな美味しさはありませんが、身体に染みる美味しさを感じることができます。

そういう食べ物は、旨味成分が多いので、一緒に食べる食べ物も美味しく感じることができるようになります。

著者がお店のパンを食べながらチーズを食べると、チーズだけを食べていたときよりも美味しく感じられたそうです。

そして、またパンを食べると、パンもまたさっきよりも美味しく感じたそうです。

つまり、パンとチーズがお互いの味を高めあっているのです。

これは、旨味成分は、種類の違うもの同士が出会うと、1+1が2ではなく、3にも4にもなるという「アミノスパーク」という仕組みが働くからなのです。

 

著者がヨーロッパにパン作りの修行に行った際、感じた疑問があります。

なぜ、ヨーロッパでは、年に40日以上ものヴァカンスが取れているのに、日本と同じか、それよりさらに、国が豊かなのか?

なぜ、いいものを食べて、ゆったりした生活ができているのか?

ということです。

 

日本と違って、ヨーロッパでは、首都に一極集中していることはなく、地方都市がそれなりに栄えているそうです。

ヴァカンスの期間が長いと、ずっと都会にいても面白くないので、人が地方に流れ、お金も流れるそうです。

綺麗な山や海はあるけれど、産業はこれといってない、典型的な過疎化している町がヨーロッパ全般にあるそうです。

ですが、このような田舎の町には、夏の間、人が溢れているのです。

ヨーロッパの人達は、ヴァカンスを楽しむために都会で稼いで、田舎でバンバンお金を使うそうなのです。

 

もちろんヨーロッパの国々にも、社会保障が手厚すぎるとか、いろいろと問題はあります。

ですが、日本に比べたら深刻度は浅く、日本のような閉塞感は感じないようです。

暮らしぶりも日本人が思っているような豊かさとは違うようです。

どういうことかというと、日本のように、ブランドの服を買い、いい車に乗って、いい家に住むという豊かさではないのです。

ヨーロッパでは、服も質のいい物を買って長い間着たり、野菜も見てくれは不格好でもマルシェ(市場)で買い、家についても、築100年、200年も経ってボロボロになった家をリフォームして住んでいることが多いのです。

そして、一番の特徴は、ヨーロッパの多くの国は農業国なので、庶民が市場で野菜や肉を買おうとすると、とても安く買うことができるのです。

 

なぜ、フランスは経済が悪くても、みんなニコニコ余裕で暮らしているのでしょうか?

それは、食料自給率100パーセントの国では、市場に質の高い農産物、畜産物、魚介が安い値段で溢れていているので、貧しくても十分に豊かな食と健康を得ることができるからなのです。

 

どうも、ヨーロッパと日本では、豊かさの定義が異なっているようです。

 

ドリアンのパンは、北海道など日本全国の小麦農家の方の小麦を使って作られています。

そんな農家の皆さんは、職業柄か、とても自然や文化に造詣が深く、考えている時間軸も過去から未来へと幅が広く感じるそうです。

とにかく今儲かればいいという現代の風潮の防波堤のような方々です。

そして、日本の食糧生産を担っているという強い誇りを感じるそうです。

カナダやオーストラリアから輸入した麦を使っていた頃は、麦を栽培している人の顔も、どういう想いを込めて麦を作っているのか、想像ができなかったそうです。

今、日本のパンがほとんど外国から買った麦で作られていて、捨てられるパンの量が多いのは、そういったことも少しは関係しているのかもしれません。

農家さんの顔と、どういう想いを込めて作物を作っているのか、その想いを思い浮かべれば、誰だって、変わらないではいられないと思います。

 

パン屋だけでなく、コンビニ、スーパー、飲食店、そこで買い物をしている私たちも

「この時間にこれだけ在庫があって大丈夫かな?」

と思ったことはないでしょうか?

つまり、みんなが「これ、このままで大丈夫かな?」と思っているのです。

結論は明らかで、大丈夫ではないのです。

ですが、日本にとって、もっとも強烈に問題なのは、みんなが「大丈夫かな?」と思っていることを、自らの力で変えられないことなのです。

これは、とても恐いことです。

なぜなら、私たちは自分で自分の人生を歩いているつもりでいても、本当は、他人が運転する列車に乗せられているだけかもしれないからです。

 

著者が大好きなフランスのパン屋「ポワラーヌ」は、何百年と変わらぬ薪でパンを焼く製法で、世界で一番と言われるパン屋になりました。

先代の店主は、これを「レトロ・イノベーション」と言いました。

古いやり方で革新するという意味です。

食べ物も、道具も、生活も、昔ながらのやり方の方が質は上がります。

何百年、ひょっとしたら何千年もの間、試行錯誤してきた技術だからです。

技術を人の手に取り戻し、古い方法で新しい時代をつくる。

それを実践して、証明してみせるために、著者は今日も汗まみれでパンを焼いているのです。